皆さんはお灸をすえるという言葉を聞いて、戒める、叱る等の懲罰的な意味を想像される方が多いのではないでしょうか。
鍼灸師にとっては、お灸は病を治療する手段であり、懲らしめる意味では使われるべきではないとして、鍼灸の業界団体が2000年12月にお灸を据える本来の意味でのみ使用してほしいと、新聞社や出版社に改善を申し入れた事もありました。
残念ですが、お灸を据えるは罰の代名詞としての慣用句になっています。
歴史的には、江戸時代から明治時代にかけての、病気に対する考え方の変化が関係しているようです。
・江戸時代の家庭では、子供の悪戯や癇癪を病気の一種と捉えていました。お灸は、子供の健康を願う親の愛情が込められた治療でした。
・江戸時代の藩校や寺子屋といった教育現場では、お灸は灸罰や点灸と呼ばれる厳罰の一つであり、体罰としての認識も存在していました。
・明治以降、西洋医学の推進により、お灸の治療的意味が薄れて、罰としての側面が強く認識されました。
江戸時代、子供が癇癪(かんしゃく)を起こしたり、ひどい悪戯をしたりするのは、性格の問題ではなく病気のせいだと考えられていました。
家庭では、お灸は身近な健康管理法で、当時の双六に描かれた仕付けの場面を見ると、お父さんに押さえられた子供にお母さんがお灸を据えようとしています。
一見するとお仕置きですが、子供の背中の灸痕を見ると、小児の万病に効くとされるツボの位置に一致しています。
また、江戸時代の学者は、お灸を親の愛情に例えて説明しています。
親は涙を流し、歯を食いしばってでも、子の病を治すためにお灸を据えるのだと。
江戸時代の人々にとって、お灸は苦痛を与えるためのものではなく、この子が健やかに育ちますようにという願いが込められた治療法でした。
家庭内では治療の側面が強かったお灸ですが、教育の現場では事情が異なりました。
藩校の規則には灸罰という項目があり、掃除や居残りと並んで、お灸が厳罰の一つとして位置づけられていた記録があります。
寺子屋でも点灸という罰が行われていました。重罪を犯した生徒に据えられることが多く、足の指の間などに据えられることもあったようです。
明治政府が西洋医学を正統な医学として採用したことで、それまでの東洋医学的な考え方が薄れていきました。
それまでは癇癪=虫気(病気)としてお灸で治すべきものだったのが、西洋医学により、性格と病気が切り離されて理解されるようになりました。
結果、お灸の罰としての側面だけが強調されるようになりました。
学校教育でも、明治12年、政府は教育令によって学校での体罰を禁止しました。
以後は藩校や寺子屋で行われていた灸罰は悪習として否定されるようになります。
教育の場からお灸が排除されたことで、世間一般でも、お灸を据える=懲罰という認識がより強くなっていったと考えられます。
大正になり、灸罰は悪習として否定されるようになりましたが、家庭内ではしつけとしてのお灸や、健康管理としては行われていたようです。
明治や大正生まれの患者さんの中には、子供のころに親にお灸を据えられた経験のある方が一定数いらっしゃいました。
参考文献
舟木宏直:罰としての灸の認識の形成 ―明治維新以後の学校教育による影響―.
社会鍼灸学研究 2019 29-38